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【西鉄バスジャック事件 犯人谷口誠一結婚(妻・嫁・子供)?現在の顔!被害者と面会】塚本達子や女の子、寝てた人や逃げた人、2ちゃんねる家族・母親や結婚

2000年5月3日に発生した西鉄バスジャック事件は、当時17歳の少年Aによるバス乗っ取り事件で、1名の死亡者と2名の負傷者を出しました。

事件は、西鉄高速バス乗っ取り事件や佐賀バスジャック事件と呼ばれたほか、インターネット掲示板の2ちゃんねるに犯行予告が投稿されたことから、「2ちゃんねるバスジャック事件」とも呼ばれました。

西鉄バスジャック事件を起こした犯人は当時17歳の谷口誠一(たにぐちせいいち)です。
この事件は当時17歳という 未成年の少年がバスジャックしたことから世間に驚きが走るとともにバス突入の救出劇と逮捕の瞬間をテレビで生中継されました。

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【西鉄バスジャック事件 犯人谷口誠一現在の顔!被害者と面会や結婚】塚本達子や女の子、寝てた人や逃げた人、2ちゃんねるなど原因や理由

今回は、西鉄バスジャック事件の概要や犯行経緯を始め、西鉄バスジャック事件の犯人の現在の顔やその後どこにいるのか、被害者である事件当時寝ていた女性、女の子、亡くなった塚本達子さん、逃げた人や谷口誠一の現在やその後、結婚して妻や嫁、子供がいるのかなどを調べてみました。

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西鉄バスジャック事件についての概要と経緯

2000年5月3日

・午後1時35分頃

九州自動車道 佐賀から博多方面に走る高速バスが乗っ取られる事件が発生。

乗っ取られた バスは、午後0時56分に乗客22人を乗せ 佐賀を出発し到着地の天神バスセンターへは午後2時6分に到着する予定でした。

・午後1時35分頃 【犯人谷口誠一が乗客22人のバスをバスジャック】

高速バスが九州自動車道 太宰府インターチェンジ付近を走行中乗客の1人だった 佐賀市に住む無職の少年である谷口誠一(たにぐちせいいち)当時17歳が、突然刃渡り40cmの牛刀を片手に乗客に対し、

『大人しくしろ!』

と騒ぎだし、すかさず運転手に牛刀を突き付け

『天神には行くな!』

『このバスを乗っ取ります。』

『太宰府インターを降りずにまっすぐ行け』

と言って運転席の後ろに座り、その後犯人の谷口誠一は乗客全員に対し、

『大人しくしとけ!カーテンを閉めろ!持っている荷物を出せ』

『女は前に出ろ。男は後ろに下がれ』

と指示し一人でバスに乗っていた小学生の女の子当時6歳だけは運転席の後ろに座らせました。

この時、犯人の谷口は誠一は事件に気づかず寝ていて事態に気づかなかった女性客当時34歳に対し、

『あなたふてくされてますね。』

と声をかけるといきなり牛刀で首の後ろ側と両手首を何度も刺し全治1か月ほどの怪我を負わせました。

通路に倒れたその女性に対し、

『おばさん生きてるか』

と声をかけながら女性の体を蹴り乗客から奪ったカメラで写真を撮るなどし、谷口誠一は

『お前たちの行き先は天神じゃない地獄だ』

と叫びました。

この頃 到着予定時刻になってもバスが目的地に到着しないことから高速バス会社は何度も無線で応答を求めたがバスが応答することはなかったため、社内に対策本部を設置し約20人が情報収集にあたりました。

しかし当日は博多どんたくの期間中で高速バスの利用者も多く、乗っ取られた高速バスは予約制ではなかったため乗客の身元の確認には時間を要することとなりました。

一方乗っ取られた高速バスは異常事態を外部を知らせるシステムが搭載されていなかったため運転手はハザードランプの転倒やパッシングをするなどして外部に異常事態を知らせようとしていました。

その間、犯人の谷口誠一は、当時50歳の女性客の顔などを牛刀で数回切りつけまたも全治1か月ほどの怪我を負わせ車内では2人目の犠牲者が出ていました。

・午後2時47分【逃げた人】

九州自動車道新門司インターチェンジ付近で1人の女性客が、

『トイレに行きたい』

と申し出たため、谷口誠一は一旦バスを道路上で止めさせ女性客を降ろした。

バスから降りた女性が道路上に設置された非常電話で通報したことで事件が発覚しマスコミに知れ渡ると一斉にテレビでハイジャックの様子を報じた。

その後高速バスが九州自動車道から中国自動車道に入った頃、すでに交通警察隊による追尾が始まっており山口県の小郡インターチェンジ付近で走行中のバスから高速道路に飛び降りた乗客1名を警察が保護しこの乗客の証言によってバス車内の負傷者の発生を把握することができた。

・午後4時9分 男性客1人逃げる

犯人の谷口誠一は携帯電話で 警察に電話をかけ、

『岡山県の吉備サービスエリアまで行けば人質を解放する』

『拳銃と防弾チョッキを渡せ』

『東京へ行きたい』

などと要求したが山陽自動車道に入り下松 サービスエリアで警察車両に行く手を阻まれます。

減速したバスから身を乗り出した乗客の男性一人が警察に救出されました。

この逃げた男性乗客が救出される瞬間はテレビで中継されていました。

しかし警察は山口県での解決は断念し封鎖を解除。

一旦バスを広島方向へ走らせる決断をし、バスが広島県に入りました。

・午後5時24分  男性の乗客4人解放

広島市の武田山トンネル付近で谷口誠一は、

『男はみんな降りろ!』

と乗客に指示し、男性客4人全員を解放した。

・午後5時50分 犠牲者・亡くなった塚本達子さんら女性客解放

バスが東広島市のパーキングエリアに警察の誘導で停車。

その周りを複数のパトカーが取り巻き捜査員がマイクで説得に当たるも、谷口誠一は当時6歳の小学生女の子に牛刀を突きつけ、

『拳銃を1兆準備せい』

などと要求。

その後バス乗っ取り直後に首などを切られた女性らが解放され病院に運ばれました。

そのうち50歳の塚本達子さんの死亡が確認されました。

乗客であった塚本達子さんが亡くなったことで、日本のバスジャック事件において人質が死亡した初めての事件となりました。

・午後9時30分頃

バスが再び走り出す。

・午後10時40分頃  谷口誠一の両親(父親・母親)が説得にあたる

東広島市の小谷サービスエリアに停車したところで今度は、谷口誠一の両親が説得に当たりましたが、谷口誠一はそれには応じず、食料や簡易トイレなどを要求。

膠着状態となりこの模様はテレビで深夜まで中継されました。

・翌朝 午前5時ごろ  救出

事件発生から15時間後、谷口誠一が小学生の女の子の脇から離れた隙に特殊部隊が閃光弾を投げ入れ、ついに谷口誠一を逮捕しました。

この逮捕劇で 警官1人が谷口誠一に左足を切られ負傷しましたが、車内に閉じ込められていた人質の女性9人(小学生の女の子含む)と運転手の計10人には怪我はなく、走行距離270キロにも及ぶ恐怖のバスジャックから解放されました。

西鉄バスジャック事件犯人(谷口誠一)のその後・判決

西鉄バスジャック事件を起こした犯人である谷口誠一は、殺人を含む5つの罪名で刑事処分相当との意見付きで家庭裁判所へ送致されましたが、最終的に5年以上の医療少年院装置とする保護処分が決定。

2006年に谷口誠一は 医療少年院を仮退院しています。

西鉄バスジャック事件犯人(谷口誠一)の生い立ちや家族(父親・母親・妹)

西鉄バスジャック事件を起こした谷口誠一は、1983年3月佐賀県で農機具販売会社に勤める父親と保健師の母親の両親の間に生まれ妹が一人いる4人家族です。

谷口誠一は幼い頃から祖母に跡取りの自覚を教え込まれたことで、

『自分は特別な存在なんだ』

と物心がついた時からそう思い込んでいたそうです。

幼少期の谷口誠一は注意力が散漫で落ち着きのない子供だった上に小柄で運動が苦手だったことから、その劣等感を抗うかのように勉強に打ち込むと小中学校では優秀な成績を収め自分は特別な存在であるかのように周囲に見せつけていました。

西鉄バスジャック事件犯人の谷口誠一いじめから家庭内暴力へ

しかし谷口誠一は中学2年生までは優秀な成績を収めていたものの高校受験が近づくにつれて成績が落ち、学校では同級生から協調性に乏しく友人と馴染めないなどの理由でいじめを受け始めたためその鬱憤をぶつけるかのように家庭内暴力を起こすようになりました。

この頃から母親を貴様と呼び、命令口調で暴言を吐くようになり、

『この家の跡取りは僕なんだ!』

と言って両親に罵詈雑言を吐いて物を投げつけるなどもしていました。

さらに妹の制服を切り裂いたりペットのハムスターを殺めたりするなどの問題行動を重ねていきました。

その後高校受験が差し迫った1998年1月に谷口誠一は学校で同級生に筆箱を隠され、

『返して欲しければ階段の踊り場から飛び降りろ』

と言われました。

谷口誠一は言われた通り飛び降りましたが、着地に失敗し腰椎の圧迫の大怪我を負って入院することになりました。

そして谷口誠一は怪我を負ったことや成績が良くなかったことで志望校だった県内一の進学校の受験を諦め、ランク下の高校を病室で受験して合格。

しかし、志望校を受験できなかった挫折感に加え合格した高校の校風が合わないなどの理由で入学してわずか9日間だけ通った後は不登校になりました。

1999年5月に出席日数が足らずに進級できず休学のまま自主退学しました。

西鉄バスジャック事件犯人(谷口誠一)2ちゃんねるとの関係

退学した谷口誠一は自宅で引きこもり生活を送る中、両親にパソコンを買ってもらうとインターネットで【警察】【殺人】【死体】【武器】などのサイトを好んで閲覧するようになり、通信販売でサバイバルナイフやスタンガン、催涙スプレーなどを購入しました。

その後 匿名掲示板2ちゃんねるにはまり込むと、【キャットキラー】【ネオ麦茶】などのハンドルネームを名乗って食事をとるのも忘れるほど熱心に書き込みを続け、時には自分の書き込みに対して否定的な反応をされて感情的に反発し諍いを起こすこともあったそうです。

谷口誠一はインターネットに没頭する中学時代から始まっていた家庭内暴力は収まるばかりかさらにひどくなっていたことで、危険を感じた谷口誠一の母親は精神科や警察にも相談したが事件を起こさない限り対処できないと断られていたそうです。

一方、父親は母親と娘が谷口誠一からの暴力に少しでも逃れる時間を与えようと考え、谷口誠一と二人で長距離ドライブに出かけておりこれが谷口誠一にとっては大切な思い出と なっていたことが事件後に明らかになっています。

西鉄バスジャック事件・犯人谷口誠一の母親が見つけたメモ

そして事件を起こす2か月前に母親は谷口の部屋の机の引き出しからある意味深なメモを発見しています。

【なんで僕はこんなことを書いているんだろう

さっき犯行声明文を出してきた。

なんか恐ろしい ことを書いた気がする

僕は昔から怒ると何をするかわからないと言われたけど

最近は もう一人の別のが出てきた

そして僕に恐ろしいことを進める人を●せ人を●せ

誰か僕を止めてくださいもう止まらないもう止まらない

父と母は少し気づいたようだ僕が人を●した時

自らの破壊によって一生を得る

もう死ぬのか人を●すのか

今の僕は何なのだろうか】

 

さらにこの頃、総理大臣と警察庁長官さらに文部大臣とNHK会長の4人に対し、

明文とも取れる内容の手紙を送っていた。

西鉄バスジャック事件・犯人谷口誠一の犯行の動機や原因は母親?

母親が意味深なメモを発見した翌日、今度は 谷口誠一の部屋にあったリュックサックの中身を確認するとスタンガンとナイフハンマーや催涙スプレーが詰められていたため、驚いた母親は精神科医に相談すると、即日谷口誠一を療養所に措置入院させることに決まった。

しかし、谷口誠一は激しく抵抗し両親に対し、

『貴様らこの恨みは絶対に忘れないから覚えてろ』

と怒鳴りつけ、谷口誠一は絶望と憎悪を募らせていた。

しかし、入院先の療養所のスタッフに対し谷口誠一は礼儀正しく接し落ち着いた態度を見せていました。

その後 療養所で治療を続けた谷口誠一は外出許可をもらうと自宅で食事や入浴をするなど落ち着きを取り戻していたかに思われたが、愛知県で発生した少年による殺人事件のニュースを見て、

『自分もこの少年のようになりたい』

と考えるようになりました。

そして西鉄バスジャック事件当日、谷口誠一は両親に強制的に入院させられたことなどの復讐として、

母校の中学校を襲撃して校舎の1階から各教室を回って生徒を刺し3階の教室に立てこもった後マスコミの注目を浴びる中、飛び降りて自ら命を絶つ計画を立てました。

しかしその日はゴールデンウィークで学校が休みだったためバスジャックして無差別殺人を行う計画に変更すると2ちゃんねるに、

【佐賀県佐賀市17歳ネオ麦茶】

というスレッドを立て書き込みをし、家族に森林公園に行ってくるとだけ言い残し バスジャック事件を起こしました。

西鉄バスジャック事件・犯人谷口誠一の現在の顔は?被害者の山口由美さんと面会?

この西鉄バスジャック事件で死亡した塚本達子さんの友人でもあり自身も谷口誠一により重傷を負わされた女性の山口由美さんは、谷口誠一の元に何度も面会に訪れました。

この被害者の女性は、今後二度とこのような事件が起きないように不登校や引きこもりの子供の居場所を作る活動をしています。

この女性は、谷口誠一が乗客を刺した際、

【本気で人を●したいと思って生きている子はいない】

との確信があり、環境によって追い詰められた状況がそうさせると強く訴えています。

谷口誠一はバスジャックを起こすなどの恐ろしい一面とは裏腹に、乗客に対し

『寒くありませんか?』

と気遣ったり小学生の女の子には

『トイレ大丈夫?』

と聞き、警察から差し入れられた缶ジュースを配るなどと声をかけバスの運転手に対しても、

『きついでしょうここで交代してもいいですよ』

と話しかけるなど、根っからの悪人には見えなかったとの乗客の話があります。

さらに、事件を起こす前の父親とのドライブがよっぽど楽しかったのかバスジャックした際には乗客に対し、

『父親とのドライブ中の高速道路の領収書は僕の宝物です』

と言って見せびらかした一幕もあったとされています。

 

しかし、西鉄バスジャック事件により1人の尊命が奪われ、被害を受けた乗客や運転手は今も尚心に多大なる傷を負ってしまったのは変わりありません。

犯人である谷口誠一は悔い改め、罪を償い続けてほしい願います。

西鉄バスジャック事件犯人(谷口誠一)のその後2023年現在の顔や結婚は?どこにいる?

西鉄バスジャック事件の犯人である当時17歳だった谷口誠一の2023年現在の近況についてですが、まず谷口誠一という名前を変えて全くの新しい名前となり生活している可能性が高そうです。

居場所や仕事先などどこにいるのか詳細もわかっていませんが、両親や家族、面会を重ねている被害者の女性は谷口誠一の現在の居場所や仕事先、名前などがわかっている可能性が高いです。

また、現在40歳という年齢なことから、結婚し妻や嫁、子供がいて家族をもっている可能性もあります。

谷口誠一の現在の顔はわかっていませんが、事件当時の顔写真が今現在も出回っています。

あれから20数年たちますが、現在の谷口誠一の顔は、17歳の時の顔とはやはり面影は残っている可能性が高そうです。

 

まとめ

2000年5月3日に発生した西鉄バスジャック事件は、当時17歳の少年Aによるバス乗っ取り事件で、1名の死亡者と2名の負傷者を出しました。

事件は、西鉄高速バス乗っ取り事件や佐賀バスジャック事件と呼ばれたほか、インターネット掲示板の2ちゃんねるに犯行予告が投稿されたことから、「2ちゃんねるバスジャック事件」とも呼ばれました。

西鉄バスジャック事件を起こした犯人は当時17歳の谷口誠一(たにぐちせいいち)です。
この事件は当時17歳という 未成年の少年がバスジャックしたことから世間に驚きが走るとともにバス突入の救出劇と逮捕の瞬間をテレビで生中継されました。

今回は、西鉄バスジャック事件の概要や犯行経緯を始め、西鉄バスジャック事件の犯人の現在の顔やその後どこにいるのか、被害者である事件当時寝ていた女性、女の子、亡くなった塚本達子さん、逃げた人や谷口誠一の現在やその後、結婚して妻や嫁、子供がいるのかなどを調べてみました。

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