【海老名香葉子 現在と家族(父親、母親、兄、弟)長女(娘)と不仲で確執?】年齢、毒親の噂は?
海老名香葉子(えびなかよこ)さんは、日本のエッセイスト、絵本作家、作家であり、株式会社ねぎし事務所代表取締役でもあります。
初代林家三平の妻として、夫の死後も一門の中心として活動する一方で、自身の戦争体験を絵本などにまとめ、平和の尊さを訴えています。
今回は、海老名香葉子さんの現在と家族(父親、母親、兄、弟)長女と不仲で確執の噂や年齢、毒親の真相について調べてみました。
【海老名香葉子 現在と家族(父親、母親、兄、弟)長女と不仲で確執?】年齢、毒親の噂は?
■海老名香葉子プロフィール
海老名 香葉子(えびな かよこ )
本名:海老名 嘉代子(旧姓:中根)
1933年〈昭和8年〉10月6日 - )は、
日本のエッセイスト、絵本作家、作家。
株式会社ねぎし事務所代表取締役。
夫:初代林家三平
海老名香葉子さんの現在(2023年)は?夫、旦那や娘(長女)との確執はどうなった?
海老名香葉子さんは、エッセイストや絵本作家として活躍するほか、初代林家三平さんの妻として落語一門のおかみさんとしても知られています。
しかし、長女の美どりさんとは長い間不仲だったことがマスコミによく報じられていました。
その原因や経緯、そして現在の仲はどうなっているのでしょうか?
実は2012年9月に行われた初代三平さんの「三十三回忌法要の会」では、母・香葉子さんの手をやさしく引く美どりさんの姿がありました。海老名香葉子さんと長女の美どりさんが仲直りしたことが明らかになりました^^
長い間確執があったそうなのですが、
その確執は無事に解けたようですね!
確執が生まれた原因の始まりは、
長女の美どりさん(夫・峰竜太と一緒に)が香葉子さんと同居することを拒否し、家を出たことだそうです。
これには香葉子さんは納得がいかなかったそうです。
また、長女の美どりさんの夫である峰竜太さんが、芸能事務所の石原プロ(海老名家と縁がある)から離れたことも香葉子さんには納得できなかったようです。
有名な家なので、海老名香葉子さんは娘夫婦と同居して手取り足取り芸能の道も応援してお世話をしてあげようとしたのかもしれませんね^^
しかし実は、長女の美どりさんの行動は、わがままではなかったみたいですね。
美どりさんは、当時無名だった峰竜太さんの妻として夫を1から支えて有名になることを支える、という意図があったようです。
一方で、美どりさんも香葉子さんに対して不信感を抱いていたそう。。
それは、お父さんである三平さんに「隠し子」がいたことを、香葉子さんがずっと秘密にしていたんだそうですよ!
私も娘がいますが、主人にもし隠し子がいたら、、娘には言えないですね笑
そして、確執の最後の決定打となったのが、
1991年になって、美どりさんが開いた記者会見です。
記者たちは離婚会見だと思って集まったそうなのですが、実際には自分の本「ビッグアップル殺人事件」のPRとミステリー作家デビュー宣言でした。
これには記者たちだけでなく、香葉子さんも激怒しました。そして娘と母の間には完全に深い溝ができてしまうことに。。
伝統など特に厳しい家門は、世間のめもありますし、イメージを守る上でも大変なことがたくさんあるので大変ですよね。
海老名香葉子さんの家族(父親、母親、兄、弟、祖母)は何者?
海老名香葉子さんを調べていると、お兄さんがいらっしゃり、実は家族で唯一生き残った家族だとわかりました。
お兄さんの名前は中根喜三郎さんという方で、日本の釣竿職人です。
東京大空襲の日、中根喜三郎さんの父は消火活動に行っていましたが、家に帰ってきたら火事になっていたそうです。
家族みんなで避難先の学校に逃げようとしたのですが、校門がしまっていて入れません。
母は小さい弟をだきしめて地面に寝て、そのあと父が母の上に乗り、そうして中根喜三郎さんのみが学校の中に入れたそうです。
祖母や2人の兄や弟もその場で動けなくなってしまったそうです。
その後、家族がどうなったかわからないまま
学校の中で避難を続けたお兄さん。
そして、中根喜三郎さんは3日間家族を待ち続けましたが、父・母・祖母・兄2人・弟は現れることがなかったので、
妹の海老名香葉子さんが疎開していた沼津に向かいました。
妹さんと会った時は「ごめんね、みんな(家族)を守れなかった」と何度も泣いたそうです。
戦争がいかに、残酷だったか、辛かったかが
わかりますね。
2度と戦争が起きないようにしないといけませんね。
海老名香葉子さんの年齢は?
海老名香葉子さんは現在(2023年)、89歳です。
お元気ですよね!
長生きされている方を見ると元気が出ます^^
89歳になられた海老名香葉子さんは現在でも、自分の戦争の体験を伝えるために
コンサートを行っています。
今年(2023年)の6月にも第二次世界大戦末期の東京大空襲で6人の家族を亡くした悲劇の体験を、
作詞した反戦の歌「ババちゃまたちは伝えます」を4つの言語で歌われています。
そして海老名さんは、涙を流しながら自分の戦争の記憶を観客にお話ししてくださいました。
「私と同じように悲しい思いを子供たちにさせたくない。公の場でなくても、生きている間は私の体験を伝え続けたい」と願われています。
現代では想像もできないことを小さな時経験をされて、それでも乗り越えられてきた強さには尊敬しますね。
そして、戦争を体験された方から直接お話を聞ける機会も少ないので、ぜひこれからも元気にお活動されて欲しいですね^^
海老名香葉子さんの家族(長女・次女・長男・次男)は?実は有名人ばかりだった!
海老名香葉子さんは戦争で身寄りを亡くしたため、終戦後は親戚をたらい回しにされてしまいます。
しかし、最後に父の知人で釣り好きで知られた3代目三遊亭金馬に引き取られることとなります。
そしてその金馬家に七代目林家正蔵の妻が出入りしていた関係から、七代目林家正蔵の妻の実の子供、つまり初代三平と結婚をします!
戦争孤児から、あの林家の家へと、すごい縁に繋がっていきますよね^^
海老名香葉子さんは4人の子供に恵まれています^^
長女⇨海老名美どり
次女⇨泰葉、
長男⇨泰孝(九代目林家正蔵、旧名:こぶ平)、
次男⇨泰助(二代目林家三平、旧名:いっ平)
どのかたも有名で、、素晴らしいです。
海老名香葉子さんは実は独親?
お子さんのお話が出たことで避けられない話題が、次女の泰葉さんの言動により次々と海老名香葉子さんの独親疑惑が明らかとなっています。
泰葉さんがいうには
「・3時間土下座させられた
・3日間食事を抜かされた
・お前は使い物にならないと言われた
などなど、、
衝撃な事実ですが、実は泰葉さんは精神的に病を患われており、実際どこまで本当なのかはわかりません。
しかし、厳しかったことは間違い無いでしょう。名家ですから。
お弟子さんもたくさんおられて、
厳しいイメージは世間一般でも知られていますし、一般家庭と比べることが難しいようにも感じられます。
甘えたくても甘えられない事情があったのかもしれませんし。
毒親と疑われていますが、真相ははっきりとしていないようでした。
まとめ
今回は、海老名香葉子さんの奇跡の人生に迫ってきました。
戦争での辛い体験を今の子供達に伝える活動を現在も元気に続けられているとのことgあわかりました。
これからも長生きしていただきたいですね^^