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【重信房子 娘 父親(婚約者)現在病気は癌ステージ?】娘の重信メイや兄弟の父親は結婚相手ではない?

2022/09/25

重信房子(しげのぶふさこ)さんは、革命家。元赤軍派中央委員、日本赤軍の元最高幹部で、東日本成人矯正医療センターなどで服役していたが2022年5月28日刑期満了で出所されています。

重信房子さんは2度結婚しており、パレスチナ人の男性との間に生まれたのが娘の重信メイさんです。

今回は、重信房子さんの娘や父親、結婚相手、兄弟、現在の病気の癌のステージや病状についてなどをまとめてみました。



【重信房子 娘 父親(婚約者)現在病気は癌ステージ?】娘の重信メイや兄弟の父親は結婚相手ではない?

重信房子 (しげのぶふさこ)

出生地:東京都世田谷区
生年月日:1945年9月28日 (年齢 76歳)
子供:重信メイ
配偶者:奥平剛士 (1971年 - 1972年)
学歴:東京都立第一商業高等学校、明治大学
両親:重信末夫

重信房子さんは東京都世田谷区で4人兄弟の次女として生まれました。

父親の重信末夫さんは四元義隆と同郷の鹿児島県出身で、第二次世界大戦前の血盟団事件に関与した右翼団体金鶏学院の門下生であった(血盟団メンバーと報じられることがあるが、メンバーではなく事件にも一切関与していない)。

重信房子さんはこの父親の影響を強く受けたそうで、
少女時代から文学に精通し、「小さな親切運動」に熱心に取り組み、表彰を受けた過去もあります。

東京都立第一商業高等学校卒業後、キッコーマンで働きながら小学校教員を目指し、明治大学文学部史学地理学科の夜学に通う。
大学では一時期明治大学雄辯部に参加、更に文学研究会に入会して『一揆』というミニコミ誌を出すなど順風満帆な学生生活を送っています。

大学入学後、夜学連に参加し、2年次に文学研究会が属していた研究部連合会の事務長を務めていた重信房子は学費値上げに絡んで明大闘争に参加しています。

これがのちに日本赤軍指導者へとつながっていきます。

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重信房子結婚相手は奥平剛士で偽造結婚だった!

重信房子さんは1971年に「国際根拠地論」に基づいて、パレスチナに赤軍派の海外基地を作ろうと計画し、

同年2月2日に神戸市で「京都パルチザン」の奥平剛士さんとの婚姻届を提出、「奥平房子」という戸籍を得て2月28日に出国しています。
しかし、奥平剛士さんは1972年5月に起こしたテルアビブ空港での事件で亡くなっています。

享年27歳でした。

婚姻届け提出後1年ほどの短い結婚生活で結婚相手の奥平剛士さんが亡くなっているので、重信房子さんもかなり傷心したのではないかと思ったのですが、

なんと重信房子さんは、潜伏先のベイルートでは別々のアパートを借り、現地の日本人に

「あの人は本当は主人ではないのです」

と、奥平剛士さんとの結婚は、偽造結婚で偽りだったことを認めています。

奥平剛士さんと1971年2月2日に奥平剛士さんとの婚姻届を提出、「奥平房子」という戸籍を得て1ヶ月も立たず2月28日には日本から出国しているあたり、新しい戸籍を得るために偽造結婚したようです。

また、この短い結婚時期なのと最初から偽造結婚だったこともあり、恋愛関係などはなく2人の間には子供はできませんでした。

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重信房子の娘、重信メイの父親はパレスチナ人兵士!

なお重信房子さんは、後にパレスチナで現地のパレスチナ人男性と結婚し、1973年3月にメイという子供を出産しています。

子供の父親については、当時のパレスチナ解放人民戦線(PFLP)の指導者であったことをアルジャジーラが2018年の特集記事で報じている。

いわゆる非公然活動家であったためその存在自体が一般には明らかになっておらず、安全保障上の理由からも公表を避けています。

この結婚相手のパレスチナ人の父親は既に亡くなっており、生前における意思疎通というのも子供とはなかったため、パレスチナ人の父親が娘のメイさんの存在を知っていたかまでは定かではないのだという。

重信房子の娘・重信メイの生い立ち!28年間無国籍!

 

重信メイ (しげのぶめい)

生誕 1973年3月1日(49歳)
レバノンの旗 レバノン・ベイルート
国籍 日本の旗 日本
民族 レバノン系・パレスチナ系日本人
教育 ベイルート・アメリカン大学卒業
ベイルート・アメリカン大学大学院
レバノン大学(英語版)
同志社大学大学院社会学研究科メディア学博士課程修了「博士(メディア学)」
職業 ジャーナリスト
活動期間 2001年 -
代表経歴 『ニュースの深層』サブキャスター
配偶者 無し
家族 重信末夫(母方の祖父)
重信房子(母)

メイという名前は母親の重信房子さんによって名付けられました。
名前の由来については、日本赤軍がテルアビブ空港で実行した事件が1972年の5月(May)であると、日本語としても革命の「命」の意味を込めたのだとされています。
本人は戸籍上も「重信メイ」となっていると明かす一方で、「命」という漢字表記を気に入っていると語るが、姓と合わせて「重信命」となってしまうそうです。

そんな重信メイさんは幼少期をアラブ社会で過ごし、8歳の誕生日に母親の重信房子さんから「パレスチナ人と共に闘うため日本から来た」と教えられたそうです。

重信房子さんは当時のアラブ社会を味方につけてもイスラエルや日本政府から追われており、その娘であるのを知られるとイスラエル情報機関に命を狙われるおそれがあったため、難民キャンプや民家を転々としながら房子の仲間以外には出自や本名を伏せて暮らした。

通学や出入国に必要な仮の身分証明書の確保には、アラブ諸国などの支援を受けたそうです。

重信メイさんの父親についても重信房子は娘が16歳になるまで誰であるかは明かさず、その線からも暗殺のターゲットにされる可能性があったといい、無国籍状態を余儀なくされる要因となった。

1997年にベイルート・アメリカン大学を卒業後、同大学大学院で国際政治学を、レバノン大学(英語版)でジャーナリズムを学ぶ。

出生後、前述の恐れから関係機関に対する手続が行わなれなかったため、28年間無国籍であったが、2001年3月に日本国籍を取得し、同年4月に初めて日本の土を踏む。

その後、同志社大学大学院社会学研究科メディア学(博士課程)を修了。
2011年に「アルジャジーラ放送アラビア語報道局によるフレーミングと議題設定効果の研究 : 衛星チャンネルのアラブ社会への影響の視点から」の論文で博士(メディア学)の学位を取得すされています。

重信メイは結婚歴なし!子供(娘・息子)はいない!

重信メイさん2022年9月現在49歳です。

結婚して、家族や子供(娘や息子)がいる可能性もあり、そうなれば、重信メイさんの母親である重信房子さんはおばあちゃんになっている可能性もあります。

しかし、調べてみたところ、重信メイさんは現在まで1回も結婚しておらず、子供も1人もいません。

現在の年齢から結婚したとしても、子供を作るのは難しいと思われます。

重信房子の子供は娘の重信メイの他に兄弟2人がいる?

重信房子さんの娘の重信メイさんには日本で暮らす妹と弟がいます。

3人合わせて熟語になっているとのことであるが、妹に限っては自分の名前があまり好きではないと漏らしているそうである。

なお、妹も弟も房子の同志の子どもたちであり、兄弟として育てられたものの血の繋がりはなく、重信メイさんは実際には一人っ子です。

ですので、重信房子さんの子供は娘の重信メイさん1人のみです。

重信房子現在は病気!癌で服役中に手術を4回受ける!ステージや5年生存率は?

重信房子さんはオランダ・ハーグでのフランス大使館占拠事件(1974年)で国際指名手配中の2000年11月、潜伏先の大阪府高槻市内で逮捕されました

秘密裏で日本に帰国し支援者の助けによって潜伏先を転々としていました。

獄中で4回にわたる手術で9つの癌を摘出しながら、2022年5月28日が刑期満了となり、

同日午前8時前に東日本成人矯正医療センターから出所されています。

出所後の取材に対して「闘いの中で無辜の人たちに被害を与えた。おわびします」と述べたほか、用意した文書でも被害者への謝罪やかつての闘争方針の誤りを記すなど、過去の過ちを悔いるなど長い刑務所生活の中で以前の考えも改心されたようにみえます。

2022年5月の出所時の出迎えで報道陣が囲む中、用意した花束を重信房子へ手渡したのはまぎれもなく血のつながったたった一人の娘で家族である重信メイさんでした。

出所時の報道では服役中に4度の癌の手術を受けたとされ、出所後の現在重信房子さんは治療に専念されているそうです。

何癌なのか、ステージや5年生存率などの詳しい詳細は公表されていないためわかりませんが、8年間という服役の中で4回も手術をされていることから、小さい癌が検査の旅に見つかって都度癌細胞を取り除く手術を行ったか、

又は複数の癌の転移先がみつかり、転移した部位ごとに複数回にわけて手術を行ったと推測するのが正しいかと思います。

実際に、ヤフーニュースでの記事でも、

『9つの癌を摘出しながら、生き抜いて自由の身となった。』

と記載があるので、癌がリンパ節から各部に転移したと考えてまり違いなさそうです。

癌転移の場合は、リンパ節への転移を認められたことになるので、ステージ2以上とされています。

癌の種類によって5年生存率の数値も変わってきますが、リンパ節への転移が認められたステージ2以上だと5年生存率も厳しい数値へと上がっていきます。

まとめ

重信房子(しげのぶふさこ)さんは、革命家。元赤軍派中央委員、日本赤軍の元最高幹部で、東日本成人矯正医療センターなどで服役していたが2022年5月28日刑期満了で出所されています。

重信房子さんは2度結婚しており、パレスチナ人の男性との間に生まれたのが娘の重信メイさんです。

今回は、重信房子さんの娘や父親、結婚相手、兄弟、現在の病気の癌のステージや病状についてなどをまとめてみました。

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