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間渕則文 経歴や学歴、家族や生い立ちドクターカー立ち上げの理由や経緯

間渕則文(まぶちのりふみ)さんは、岐阜県中津川市民病院に緊急医として赴任する医師です。

彼は、日本初の乗用車型ドクターカーの運用を開始した人物として有名な方なのですが、今回は間渕則文さんの経歴や学歴、家族や生い立ち、ドクターカー立ち上げの理由や経緯をご紹介したいと思います。

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間渕則文(まぶちのりふみ)経歴や学歴、家族や生い立ちドクターカー立ち上げの理由や経緯

間渕則文 (まぶちのりふみ)

生年月日:1958年7月生まれ
出身地:愛知県
家族:父親は薬剤師・祖父は医師(開業医)
学歴:名古屋市立大学医学部卒業、同大学病院の麻酔医としてICUに勤務。
名古屋第二赤十字病院集中治療部、カナダ・トロント総合病院麻酔科、などを経て、
1999年3月国際協力事業団医療協力部派遣前業務委嘱員となる。
同年4月エジプト・アラブ共和国カイロ大学小児病院小児救急医療プロジェクト・チーフアドバイザー。
2002年4月岐阜県立多治見病院麻酔科主任医長・救命救急センター主任医長に就任。
同年7月麻酔科部長、8月救命救急センター長。
2007年4月臨床研修センター長を兼務。
現在、中津川市民病院 病院前救急診療科 部長。

 

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間渕則文さんの経歴や生い立ち、家族

間渕則文さんは、父親が薬剤師で祖父(神谷浩三さん)が医師(開業医)という医療関係に従事する家庭に生まれました。

その為、比較的裕福で幼いころから父親や祖父の背中をみてきたので、将来は迷いなく医療の道へ…と思ったのですが、
実際医療への道と土木エンジニアの道でギリギリまで将来の選択を迷ったそうです。

そんな時、開業医である祖父は70歳を超えてから、今までの開業医を叔父さんにまかせて、静岡県の無医村に入って診療所を始めたそうです。

その祖父の姿を見た間渕則文さんも
「公務員としての医師の定年はたいてい65才。それまであと10年と考えたとき、最後の10年は好きなことをやろう」
と、祖父のように好きなことをしたいと医療の道へ進んだそうです。

そんな間渕則文さんの転機は、30代の頃、搬送中の男の子が救急車の中で心臓が停止し、亡くなるのを目の当たりにされた時でした。

あと少し早ければ助かったという思いがあり、医者が病院に待っているだけではだめだと強く感じたそうです。

医学部卒業後はカナダの大学病院で、当時日本で認可されていなかった心臓や肺の移植手術にも携わった。

間渕則文さんが数ある医療系の中でも麻酔科へ進んだのは、目標とする先輩がいたことだそうで、さらに救急医療にかかわるようになったのは、ドイツで出会った麻酔医の多くが救急救命医でもあったということだそうです。

ドイツではドクターカーがすでに取り入れられており、間渕則文さんはとても感銘を受けます。

間渕則文さんは22年現在64歳です。

間渕則文さんの家族については父親と祖父のことしかネット上ででてきませんでしたが、

結婚して妻や子供がいる場合、子供はすでに成人されている年齢だと思います。

もしかすると可愛いお孫さんも生まれ、おじいちゃんになっている可能性もありますね。

間渕則文さんは日本で初めてドクターカーを導入!

 

欧米では一般的な診療形態である乗用車型ドクターカーを用いた病院前救急診療が普及しており、ドクターヘリも含めた統合的な病院前救急診療が広く実施されていて、24時間体制で現場から医療が提供されています。

しかし日本では前代未聞のもので、

ドクターカーやその必要性を理解してもらうのはとても大変だったそうです。

間渕則文さんはそれでも諦めずに構想を話していたら、それなら市議会で説明の機会が与えられ、

市議会では、

『市民1人当たり1日1円50銭から80銭の負担で、それまで救えなかった命が救えるんです』

とプレゼンし、最後は満場の拍手でドクターカーが日本で初めて認められたのでした。

日本初のドクターカーは、中津川市民病院 病院前救急診療科に所属し、専用駐車場と目と鼻の先に一室を構え24時間体制でスタッフが常駐しています。

間渕則文さんと医師の松本卓也さん(45才)が交代で、9日勤務5日休みというローテーションをこなしています。

ともにこの担当の間は24時間勤務で、通常の勤務時間8時30分から17時までは病院に、それ以外の時間は借り上げ宿舎(待機宿舎)で待機、宿舎との往復もドクターカーでしています。

昼食時にもすぐ対応できるよう、この車で出かける。ドクターカーの走行軌跡は、消防署や病院のパソコンのモニターに逐一報告されるので、プライバシーなんかまったくない状態だそうです。

間渕則文さんは、いつでも出動できるように外食をする時は代金は前払いをするルール―を決めています。

その理由として、注文した後に無線で出動要請がかかることがあり、その場合すぐに店を出ないといけないので先に前払いをするそうです。

間渕則文さんが先駆けとなったドクターカーとは?

間渕則文さんが日本で初めて導入したドクターカーは、医師や看護師自らがハンドルを握って現場に出動することができる緊急車両のことです。

救急外来と同じ処置・検査ができる資器材を乗せて現場に向かうため「動く救急外来」とも言われています。

ドクターカーと救急車の違い

ドクターカーの目的は、ドクターや看護師を現場へ派遣して、いち早く必要な医療処置を行うことです。

ドクターカーに対して救急車は、病気や事故などのケガにより緊急に医療処置が必要な患者を、いち早く現場から病院へ搬送することを目的とした緊急車両です。

ドクターカーは、お金をとられる

ドクターカーは医師が現場で診察、治療をするため、現場での往診料、あるいは救急搬送診療料がかかります。
値段はケースに応じて多少差がありますが
1万円から1万5千円くらいです。

※値段は年齢・時間・処置内容・保険の割合などにより異なります。

 

間渕則文さん提案のドクターカーの導入で救命率が3%~19%に!

 

間渕則文さんが日本で初めて導入に貢献したドクターカーの活躍は目覚ましく、2014年3月の本運用から同年12月までに270件の出動要請があり、ドクターカー運用以後、救急救命率が3%から19%に引き上げられています。

すばらしい救命率のアップですね!!

この数値はいたるところに救急指定病院がある都市部にも匹敵する値で。

市民のドクターカーに対する意識も大きく変わったそうで、今や中津川市民にとってなくてはならない存在になっていると言えますね。

 

間渕則文さんはなぜ、中津川市を選んだのか?

 

岐阜県中津川市は、典型的な中山間地域で、点在する集落から市民病院までは、山道を走らなければならないところが多くあるそうです。

さらに高齢化社会の中で問題となる看取り診療について、在宅診療医のグループ化が困難な過疎地なのも影響しています。

その市民病院でも高度医療は望めず、急患は約50km離れた多治見市まで搬送されます。

命の危険がある患者にとって50kmの道中がいかに長い距離なのかすぐ想像できますね。

間渕則文さんが当時拠点としていた多治見病院に、これから中津川から救急車が向かうという連絡が入るたびに、

『ここへ来るまで命があるかなあ』

とよく思ったそうです。

だったら、患者を待つのではなく、医師である自分が中津川に行って患者をいち早く救命する、ドクターカーの必要性を強く感じたそうです。

 

まとめ

 

日本にはじめてドクターカーを導入し、救命率をアップさせた間渕則文さんの功績はとても素晴らしいものがあると思います。

ドクターカーがあるだけで、市民の方もとても心強いと思います。

間渕則文さんのおかげで救われた命がどんなけあることでしょう。

これからの活躍も期待したいとともにドクターカーがもっと沢山必要としている地域に導入されることを願いたいですね。

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