【小林亜星 死去や亡くなった説の真相!】現在は苦言も健在で糖尿病の病気?
小林亜星(こばやしあせい)さんと言えば、作曲家、タレント、俳優としてマルチな活躍をみせていますが、最近は表舞台から姿を消しめっきりその姿を拝見しなくなりました。
そして、とうとう小林亜星さんに死去説や亡くなった説が浮上するようになっていますがその真相は?!
小林亜星さんは歯に衣着せぬ言動が有名で、苦言で騒動になったことも…
テレビドラマ『寺内貫太郎一家』時代から糖尿病を患っていましたが、現在はどのような活動をされているのでしょうか?!
【小林亜星 死去や亡くなった説の真相!】現在は苦言も健在で糖尿病の病気?
小林亜星(こばやしあせい)
生年月日:1932年8月11日
出身地:東京都杉並区
慎重:168cm
体重:92kg(現在)
学歴:慶應義塾大学経済学部
所属:アストロミュージック
日本作詞作曲家協会理事・大日本肥満者連盟初代会長
作曲家、作詞家、俳優、タレント。
CMソングやテレビ主題歌にヒット曲、ロングランの曲が非常に多いく、幾つかのCMソングや楽曲では自ら歌手として歌うという幾つもの顔を持つ、マルチタレントでもある。
小林亜星の家族は?!
小林亜星さんは、東京都杉並区出身で現在も杉並区在住です。
亜星という名前は本名で、母親の尊敬する演出家の息子の名前が『亜星』だったそうで名づけられました。
小林亜星さん家族構成として、祖父は医者、父は役人、母は劇団員、妹はイラストレーターの川村みづえさん、次男は『太陽戦隊サンバルカン』のバルパンサー/豹朝夫役で知られる元俳優の小林朝夫さんがいます。
小林亜星の経歴や生い立ち
経歴として、旧制慶應義塾普通部から慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学医学部に入学したものの医者になりたくはなく、音楽サークル活動に熱中した事で親に断りなく経済学部に転部しましたが、卒業時に親の知られたことで勘当された過去があります。
大学卒業後は会社に就職するも二週間で辞職、作曲家で日本のクラシック音楽の大衆化に努めた服部正の弟子入りを志願。
しかし、当初は服部正に「音楽大学出身者以外の弟子は取らない」と断られたのですが、連絡先を書いたメモを郵便受けに置いて帰った所、数日後に電話があり入門を認められたそうです。
その後、作曲を服部正に師事することになります。
出世作となるレナウンのコマーシャルソング「ワンサカ娘」(歌:弘田三枝子)以降、CMソングを中心とした作曲活動を展開し、1969年には「イエイエ」、「エメロンシャンプー」他のCM音楽作曲に対して、第6回放送批評家賞(ギャラクシー賞)を受賞。
小林亜星 活動の裏で俳優やタレント業も!
また音楽活動の裏で、小説家の向田邦子さんの代表作であるテレビドラマ『寺内貫太郎一家』で俳優デビュー。
『寺内貫太郎一家』では、怒るとすぐにちゃぶ台をひっくりかえす頑固な親父「寺内貫太郎」役で、大きな印象を残し一気にお茶の間で人気の俳優となる。
しかし、ドラマ起用前の小林亜星さんの風貌は長髪でサングラスをかけており、ドラマで見せた丸坊主に黒い丸縁めがね、印半纏等を身に着けた格好とは程遠いもので、原作者の向田邦子さんは当初難色を示したそうです。
そのドラマ以降、クイズ番組に出演したりワイドショーのコメンテーターとして出演するなどタレント業もマルチにこなす一方、日本音楽著作権協会の一部理事たちによる公金不正流用事件を機に、有志会員が小林亜星さん、永六輔さん、野坂昭如さんを中心に結束し、協会を監視是正するオンブズマン的団体J-scat(日本作詞作曲家協会)を組織するなど、音楽業界でも断固たる地位を築いていくことになります。
最近では、2015年に第57回日本レコード大賞で功労賞を受賞しています。
小林亜星の現在も苦言は健在!
小林亜星さんと言えば、作曲家として有名な一方、俳優業やタレント業、コメンテーターなどでも人気を集めマルチな活動をみせていました。
1980年~1990年代ではテレビで見ない日はないというくらい小林亜星さんの姿をテレビ等で拝見していたものですが、最近では露出が減少し、時の人となっているようです…
あまりにその姿を見なくなった為、ネット上では死去説や亡くなった説もでるほど…
小林亜星さんは2017年2月時点で84歳という高齢ですし、テレビから姿を消すのも死去説や亡くなった説が出てしまうのも無理はありません。
コメンテーターなどで活躍している時は、歯に衣着せぬ言動でドラマで演じた頑固おやじキャラが定着していたので、露出が減ってテレビで見なくなった時になぜかは寂しさもありました。
現在ではどのような活動をされているのでしょうか…
実は小林亜星さんの最近の動向として、昨年2016年にある苦言を言ったことで騒動になっていたことが発覚しました!!
現在も元気なようで、死去説や亡くなった説はガセであったようですね。
最近の歌謡曲についてコメントを求められた小林亜星さんは、下記のような痛烈な苦言をしました。
「流行歌の世界が全くダメ。紅白歌合戦も、みんな昔の歌を歌っている。おじいちゃんから孫まで知っている曲がない。演歌なんて何も新しいものがない。何かに似たような詞ばかり。流行歌は滅びたね。ポップスはいい曲はあるが、世の中、同じ曲ばかり街で流れているのはないよね」
「作曲家、作詞家がいけない。現代を直視して現代を表現していない。演歌はひどい。何とか船とか、何とか道中とか、まだ作っている。殻の中でやっている感じ。昔は演歌はモダンなものだった。みんなが愛する曲を作るには、いろんな経験と音楽的成熟が必要で、そういう人がいなくなった。古賀政男先生たちはモダンだった。そもそも昔は『演歌』という言葉じゃなかった。『流行歌』と言ったもの」
と、現在の日本の歌謡界に対し痛烈な苦言を発しました。
また、過去にはテレビドラマ『寺内貫太郎一家』で頑固な昭和時代の親父役を演じた小林亜星さんが、現在の平成の日本の家庭のあり方に対しても、
「今は昔と違って家族が一緒に夕飯も食べられない。一家だんらんがなくなった。今の方が貧しい。『貫太郎』の時代はみんな心が通じていた。今は忙しい、騒がしい競争の時代。寂しいね。教育も受験のため。我々の時代はしっかりと情操教育を受けた。今は情操より競争。みんな仲良く生きようという気が少しでもあればと思う」
苦言の中にも現在の日本社会の在り方についてもコメントをしています。
現在では、テレビから姿を消し、死去説や亡くなった説まで出てしまっている小林亜星さんですが、歯に衣着ぬ発言や苦言はどうやら健在のようですね。
現在は病気の糖尿病を患うも酒を飲みに出かける生活
最近の小林亜星さんの楽しみはと言うと、お酒を飲みに出掛け、バカ話をするのが好きなんだそうです。
運動が嫌いな為、最近は足元がふらつくという症状があるそうですが、病院は大好きで4、5件通っているそうです。
テレビドラマ『寺内貫太郎一家』をやっている時から糖尿病を患っているのですが、現在は悪化はしていなく、入院は転んでケガした時くらいだったそうです。
小林亜星さんの母親は102歳という大往生で亡くなられたそうですが、小林亜星さんは母親のように102歳まで生きるのは嫌だそうですが、まだまだ死ぬわけにはいかないそうです。
まとめ
1980年代~1990年代にはテレビで見ない日は無いというくらい、圧倒的な存在感と歯に衣着ぬ発言や苦言でお茶の間の人気者だった小林亜星さん。
最近ではその姿が見えなくなり、死亡説や亡くなった説が浮上していましたが、
80歳を超えた今でもうまく糖尿病と付き合いながらお酒を飲みに出掛けたりバカ話をしたりの生活を送っているようです。
自分の生き方を全うすることと何よりも元気が一番ですね。