【トレンド速報.COM】

芸能・ニュース・事件・事故・TV番組・趣味・ゲームアプリ・イベント情報・スポーツ・自然災害・海外ニュースまで最新のトレンドニュースをどこよりも速くお届け!!

【世良公則 病気と武勇伝や実家(父、母)が金持ち?】結婚相手の奥さんとの自宅が凄い!

2022/06/15

世良公則(せらまさのり)さんは、1981年に解散したロックバンド【ツイスト】のボーカルで現在はソロや俳優、タレントとしてマルチな活躍をされています。

性格もロックな方で数々の武勇伝をお持ちになり、後世に残した功績も数々ある世良公則さんですが、ググってみると【病気、実家(父、母)が金持ち、結婚相手(奥さん)、自宅】などとても気になるワードが目に入りました。

今回は、世良公則さんの気になるワードの真相を探ってみたいと思います。

【スポンサードリンク】

【世良公則 病気と武勇伝や実家(父、母)が金持ち?】結婚相手の奥さんとの自宅が凄い!

世良 公則(せら まさのり)

生年月日: 1955年12月14日 (年齢 66歳)
出生地: 広島県 福山市
身長: 176 cm
学歴: 広島県立福山葦陽高等学校-大阪芸術大学芸術学部放送科卒
ジャンル: ロック

世良公則さんは、広島県福山市出身で、3歳からバイオリンを習っていました。

中学時代にローリング・ストーンズの「Paint it Black」を聴き「何だ、これは!」と衝撃を受けたのを切っ掛けに海外のロックを聴き始め、高校に入るとベース担当がいない同級生のバンド・FBIバンドに加入する。

「ヴァイオリン(4弦)を習っていたのならベース(4弦)も弾けるだろうからベースを担当してくれないか?」と言われベースを担当した。

ヴォーカルに転向したのは大学2年の終わりで、高校2年のとき、バンド仲間の影響でロッド・スチュワートを知り大きな影響を受けたそうです。

バンドメンバー全員が大阪の学校に進学となり、世良公則さんも大阪芸大へ進学。

大学在学中にボーカルに交代しました。

大学4年のときバンド名を「ツイスト」に改名しました。

1977年11月のレコードデビュー、翌1978年1月のテレビ初出演(夜のヒットスタジオ、フジテレビ、1月9日)後は、出す曲出す曲大ヒット、わずか1年足らずで頂点に立ち一世を風靡した。

1981年にツイスト解散した後は、ソロに転向。

端正な顔立ちやルックスをいかし、俳優業も本格的に開始し、
TV『太陽にほえろ!』などの刑事ドラマ、NHK朝ドラ『チョッちゃん』や『Wの悲劇』、『極道の妻たち』シリーズ、『マルモのおきて』、『カンゾー先生』などの映画にも多数出演し、日本アカデミー賞の第10回及び第22回助演男優賞を受賞するなど高い評価を得ています。

現在も俳優業やタレントなどマルチな活躍をみせています。

【スポンサードリンク】

世良公則の実家(父、母)は金持ち?

世良公則さんは広島県福山市生まれで、
父・母・兄の4人家族です。

世良公則さんのお父さんは地方公務員、お母さんは保育士でお母さんの実家はお寺だそうです。
比較的裕福な家庭であったことがわかります。

3歳の時からバイオリンを習っていたあたり、実家は裕福そうですね。

バイオリンを習っていた頃には、音を耳で聴くだけで、楽器を弾ける耳コピーができるようになったそうで、これが後の素晴らしい功績を残している音楽活動に活かされたといっても過言ではないでしょう。

世良公則の病気の真相!

音楽活動でも一世風靡し、俳優業やタレント活動でも順風満帆な世良公則さんですが、
【世良公則 病気】という気になるワードがでてきました。
さっそく調べてみると、

2008年にヤフー知恵袋で

Q:昔、世良公則&ツイストというバンドにいた方で病気で休養(その後脱退?)した方がいたように思いますがその後元気になったのですか?
古い話しですが誰かご存知の方よろしくお願いしますm(__)m
A:大上明さんのことですね。退院後自宅療養されていてツイストには戻れませんでしたが、脱退はしてなかったように記憶してます。
ずっと音楽活動はされてたみたいです。最近まで活動してましたね。
いまでも、鮫島さんやふとがねさんとは交流があるみたいです。

というQ&Aを発見することができました。

世良公則さんの病気ではなく、ツイストの元メンバーの大上明さん(ギター)が活動時に突然体調不良によりその後脱退されています。
このことが【世良公則 病気】に変換されてしまった可能性が高いといえます。

大上明さんの現在の状況は詳しく載っていませんでしたが、現在もディナーショーにゲスト出演されるなど、音楽活動は続けていることがわかっています。
病気を克服されたのかもしれませんね!安心しました。

又は、
2018年12月3日、世良公則さんが過労による貧血で都内の病院に緊急搬送されています。
しかしその日の内に退院をし、数日後には予定通りコンサートを行って元気な姿を見せてくれています。

これは病気とはいえないかもしれませんが、ニュースになっています。

しかし、世良公則さんも60歳を超えていますし、何かしら病気を患ったことはあるかもしれませんが、がんなどの大病だと同じくニュースになっていると思うので、現在のところ大きな病気はなさそうです。

いつまでも元気な姿を見せていただきたいですね!

 

世良公則の結婚相手の奥さんは柳井典子!

ツイスト時代、熱狂的な女性ファンが数多くいた世良公則さんですが、世良公則さんはすでに結婚され、奥様がいらっしゃいます。

しかもツイスト大ブレイク中である1980年、世良公則さんが25歳の時に結婚されているんです!
結婚報告も突然だったようで、世間ではショックを受ける女性が続出したんだそうです。

一世風靡している最中のことなので、結婚相手の方も芸能人の女性なのかと思ったのですが、なんと高校時代の同級生だそうで、交際期間8年でのゴールインとなったそうです。

開かれた結婚記者会見では『惚れていないと結婚しないし…』と語ったそうで…

恋愛では真剣に純愛を貫かれたのがかっこいいですよね~。

お嫁さんは旧姓柳井典子さんという女性で、結婚前は化粧品の会社にお勤めをされていたそうです。

結婚後は専業主婦になったそうです。

結婚後、世良公則さん住んでいたマンションは松田聖子さんと神田正輝さんが結婚直後に住んでいたマンションと同じで、結婚後に休業していた松田聖子さんが毎日世良夫人と互いの家でお茶していたそうです。

また、結婚した年である1980年2月にリリースされたツイスト7枚目のシングル『LOVE SONG』は世良公則さんが妻の為に作ったプロポーズソングだと言われています。

世良公則の自宅は世田谷区の高級住宅街に?!

結婚当初は、新婚の松田聖子さんと神田正輝さんと同じマンションに住んでいた世良公則さん夫妻ですが、現在は世田谷区の高級住宅街の一戸建ての家に住んでいるそうです。

プライバシーを守るため、このサイトでは自宅の詳細な位置や画像掲載は控えたいと思います。

ただ、ツイストは出すシングル軒並み大ヒットしたり、ツイスト解散後は俳優業やタレント業で多忙な世良公則さんなので、かなりの豪邸に住んでいることは間違いなさそうです。

世良公則の武勇伝とは?!

ロックなのに純愛と魅力的な世良公則さんですが、数々の武勇伝があるのでちらっとご紹介します!

世良公則の武勇伝①

1977年11月、メンバーの大学卒業、バンドの解散のけじめに出場したヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)と世界歌謡祭で「あんたのバラード」でまさかのグランプリを獲得したという武勇伝があります。

大学卒業とともに解散予定だったそうで、それのけじめとして出場した大会でまさかのグランプリ…
当然グランプリ=デビューといえるような状況の中…
卒業後に世良公則と神本宗幸さん以外のメンバーがプロになるのを拒否したため、大学のバンド仲間で別バンドに所属しているプロ志向の仲間達で同月“世良公則&ツイスト”を結成しました。

この新しいメンバーで一世風靡したツイストであるといえます。

大学卒業というと、もう内定ももらって就職を考えていた時期でもあると思います。
音楽の道に進む夢も大切かもしれませんが、デビューしたとしても売れるか売れないかわからない厳しい世界ですもんね…

世良公則の武勇伝②

まだ、ロックが世間では珍しかった時代。
ツイスト出演のあるテレビの音楽番組のカメラリハーサル中、急に音が遠くなり、振り返ったら自分とバンドの間に書き割り(演出用美術セット)が降りていて、イヤーモニターがある時代ではないし、バンドと切り離されるのが嫌で「書き割りは降ろさないでください」と言ったら「新人のくせに生意気だ」と言われ。「カラオケでやれ」と強要されることも珍しくはなかったそうです。

これらの改善にも世良公則さんらが後世に残した功績は大きいとされています。

世良公則の武勇伝③

世良公則さんの広島出身、大のカープファンというキャラで熱血漢・直ぐにカッとなる猪突猛進の性格の反面、人情味に溢れ、小動物を愛し、純情な一面も持ち合わせています。

しかし、その熱血漢が災いしてか、この頃の『太陽にほえろ!』では珍しく、転任して1年7ヶ月という短期間で殉職・降板(第597話『戦士よさらば ボギー最後の日』にて刺殺)となる。

2枚目半の『格好良くキメているつもりの、ドジで格好悪い刑事』というボギー刑事が刺殺される場面では、必要最低限の都会の雑踏音・喧騒と、世良本人の希望によりBGMなしの音声のみで左胸をナイフで刺されるシーンを放映されました。

法律では裁けない『悪』へ単身乗り込もうとしようとした所で不意に刺され、一瞬呆然とするボギー。そして「まだやりたいこと、あんだよぉ!」と無念さ、無様な最期となった自分への言葉、それぞれが上手く演出され、ボギー刑事の無念さを表す、悲しい名場面になりました。

番組プロデューサーの岡田晋吉の著書『太陽にほえろ!伝説』では起用当時の世良にまつわる思い出として「『太陽』には歌手でなく役者として来たのだから新人扱いでいい」と語っていた、番組内で挿入歌を歌ってもらおうと持ち掛けたところ「俺の歌は『太陽』には合わない」として、殉職まで一切歌わない姿勢を貫いた、というエピソードを披露しています。

またそれまでの『太陽』に登場する刑事のような恰好いいイメージでは意外性がないと考え、プロデューサーに「おっちょこちょいで情けないんだけど憎めない、三枚目な刑事役をやりたい」と世良公則さんから提案したそうです。

普段の世良のイメージを、このドラマでどこまで消せるかを最大のテーマにしたと後年世良さん自身が語っています。

この以外性が受けて、太陽にほえろは現在でも語られるほどの名作ドラマとなりました。

まとめ

世良公則(せらまさのり)さんは、1981年に解散したロックバンド【ツイスト】のボーカルで現在はソロや俳優、タレントとしてマルチな活躍をされています。

性格もロックな方で数々の武勇伝をお持ちになり、後世に残した功績も数々ある世良公則さんの詳細でした。

これからの活躍にも大注目です。

-芸能
-, , , , , , , , ,