【船村徹 死去】病気で激やせ死因は心不全?弟子はフランス人シャンソン歌手
昭和を代表する作曲家の船村徹(ふなむらとおる)さん。本名・福田博郎(ふくだひろお)さんが、神奈川県藤沢市の自宅で死去されました。
船村徹さんは、現在激やせになっている姿から『病気では?』と思われていたそうです。
船村徹さんは「王将」「矢切の渡し」「みだれ髪」などのヒット曲を生み出し、5500曲以上を手がけた戦後の歌謡界を代表する作曲家で、美空ひばりさんやちあきなおみさんの作曲も手掛けています。
【船村徹 死去】病気で激やせ死因は心不全?弟子はフランス人シャンソン歌手
船村徹(ふなむらとおる)
本名:福田博郎
生年月日:1932年6月12日 (享年84歳)
出身地:日本栃木県塩谷郡塩谷町
学歴:東洋音楽大学・(現・東京音楽大学)卒業
作曲家・歌手。
日本音楽著作権協会名誉会長、日本作曲家協会最高顧問。横綱審議委員会委員。
「日本会議」会員でもある。
戦後歌謡界を代表する作曲家の一人であり、手掛けた曲は5000曲以上にのぼる。
妻は元歌手の能沢佳子さん、長男は作曲家・編曲家の蔦将包(つた まさかね)さん、長女は作詞家の真名杏樹さん、次女は元女優の福田渚子さんと芸能一家です。
2004年から2010年まで日本音楽著作権協会(JASRAC)の会長(その後、名誉会長)を務め、音楽著作権の保護に尽力した人物でもあります。
船村徹の生い立ち・昭和の名作曲家!弟子は外国人?
大学在学時はまだ駐留米軍が数多くいた時代であり、船村は米軍キャンプ専門のバンドでそのリーダーを務めたこともあったという。大学在学時に、作詞家の高野公男と組み作曲の活動を開始した(高野は1956年に肺結核のため、26歳の若さで死去)。ただ、高野とともに、生活は困窮を極め、バンド・リーダーのほか、流しの歌手なども経験する。
当時、一級上に黒柳徹子さんがおり、黒柳徹子さんは声楽科でだったが、上級生の伴奏を勤めさせられることがあり、そのことを「指導」と呼び、船村徹さんも黒柳徹子さんから、たびたびそのような「指導」を受けたことがあるという。
1953年、雑誌「平凡」コンクール曲第一席「たそがれのあの人」がレコード化され、作曲家としてデビュー。
作曲家としての本格的な作品は「別れの一本杉」(歌・春日八郎・1955年発表)。その後も、「ご機嫌さんよ達者かね」、「あの娘が泣いている波止場」(歌・三橋美智也)などが連続ヒットした。
船村徹さんには、フランスの シャンソン歌手、ジョルジュ・ムスタキという異色の弟子がいます。
弟子が外国人…世界に認められている名作曲家の証拠といえるでしょう。
船村徹さんが作曲提供した歌手は…
青木光一、山形英夫、吉岡妙子、村田英雄、舟木一夫、春日八郎、五木ひろし、大月みやこ、北島三郎、鳥羽一郎、内藤洋子、ちあきなおみ、細川たかし、ちあきなおみ、島倉千代子、島倉千代子、山形英夫、美空ひばり、北原謙二、三橋美智也、藤圭子、小林旭、石川さゆり、森昌子、松原のぶえ、中村美律子…
というそうそうたる顔ぶれの昭和を代表する歌手を手げている。
また、陸上自衛隊宇都宮駐屯地愛唱歌も作曲している。
昭和の歌姫である美空ひばりさんに関して、船村徹さんは、
『高音(裏声)に良いものを持っている』
と発言しており、実際に船村徹さんが美空ひばりさんに提供した作品には、高音部分がある楽曲が多い。
ただし、美空ひばりさんの母である喜美枝には「苦手だからやめて」と拒否されていたそうです。
また、船村徹さん自身が高く評価しているちあきなおみと美空ひばりを対比し、
『美空ひばりとちあきなおみの決定的な違いは、裏声の出るか出ないかだ』
とも発言しています。
船村徹は病気で激やせ?死因は?
船村徹は現在とても激やせした姿をされていた為、病気であったと言われています。
昨年の2016年5月に心不全の治療で手術を受け、自宅療養を続けていました。
しかし、手術後は無事回復し9月の茨城公演でステージに復帰されて激やせした姿ながらも元気な姿をみせていたそうです。
また10月には作曲家では60年ぶり2人目の文化勲章を受章し、
「今まで通りに大衆芸能を盛り上げるようなお手伝いをしていきたい」
と現役続行の意欲を見せていたところでした。
しかし、2017年2月16日、神奈川県藤沢市の自邸にて倒れている所を家族に発見され、死去されました。
死因はまだ明らかになっていませんが、昨年患った心不全の影響も考えられます。
*まとめ*
昭和を代表するそうそうたる顔ぶれの歌手の作を手掛けた船村徹さん。
2004年から2010年まで日本音楽著作権協会(JASRAC)の会長(その後、名誉会長)を務め、昨年2016年10月には作曲家では60年ぶり2人目の文化勲章を受章するという素晴らしい功績を残しておられます。
2016年5月には心不全の病気の為に激やせした姿が見られ、心配の声もあがっていましたが、音楽に対する情熱は劣ることなく現役でした。
船村徹さんの功績や作品はこれからも色褪せることなく受け継がれていくことでしょう…。
心よりご冥福をお祈りします。