【小川宏アナが死去!死因は多臓器不全】うつ病克服し現在は講演活動をしていた!
フジテレビ「小川宏ショー」などで知られた名司会者、小川宏(おがわひろし)さん(90)が死去されたそうです。
死因は多臓器不全で、11月29日に亡くなったそうです。
小川宏さんは、過去にうつ病を患ったものの克服し、現在は講演活動などを行っていたそうです。
【小川宏アナが死去!死因は多臓器不全】うつ病克服し現在は講演活動をしていた!
小川宏(おがわひろし)(90)
生年月日:1926年4月17日
出身地:東京都墨田区東向島
学歴:東京都立第七中学校(現:東京都立墨田川高等学校)、早稲田大学専門部工科建築科卒業
フリーアナウンサー・司会者
元NHKアナウンサー
小川宏さんは早稲田大学専門部工科建築科を卒業後、一旦間組(現在のハザマ)に入社したが半年で退職。
その後、NHKに二次募集で入局します。
1955年より『ジェスチャー』の4代目司会者として10年にわたって活躍し、圧倒的な知名度を背景に1965年1月にNHKを退職。
NHK退職後にフジテレビと専属契約を結び、1965年5月よりフジで「小川宏ショー」をスタート。
1982年3月に同番組終了後、うつ病を患いましたが克服し、その経験をもとに講演活動などを行っていました。
名司会者であり、穏やかな語りで話術の達人としてもしられた人物です。
うつ病を患った原因は?小川宏ショー終了の喪失感から?!
小川宏さんは1982年3月の『小川宏ショー』終了後にうつ病を患ったことを公表しています。
『小川宏ショー』と言えばその名前の通り、司会者である小川宏さんの名前が番組名として使用されており、通算17年もにお長きにわたり小川宏さんが司会を務め、4451回という金字塔を打ち立てたことにより、「人名を冠した番組の最長寿記録」としてギネスブックから認定・掲載されたこともあります。
(後に「森田一義アワー 笑っていいとも!」(タモリ<森田一義>司会)がこの記録を塗り替えている)。
その『小川宏ショー』は1982年3月に番組終了となっています。
17年間もメイン司会として勤めてきた番組の終了…
小川宏さんのうつ病の原因はこの番組終了による喪失感も1つの原因なのかもしれませんね。
また、NHKを退職後にフリーとなって自身のプロダクションを立ち上げた時に、身内の裏切りにより数億円もの借金を背負ったこともあり、この件もうつ病になった原因と考えられます。
壮絶なうつ病…自殺未遂や遺書まで…
小川宏さんのうつ病は克服されるまで壮絶だったようです。
最初の体調不良は平成3年の秋。
ただの風邪だと思っていたそうです。
何かをするにもおっくう…
そんな症状から始まった小川宏さんのうつ病は本人が気づかないまま進行していったそうで、翌年の平成4月1月31日には妻に遺書まで渡したそうです。
しかし、のの遺書を受けとった小川宏さんの妻は、
『これは認め印がないので認められませんね』
とニヤッと笑って相手にしなかったそうです。
『彼女にしてみればそうするほかなかったんでしょうね。でも、さらりとながしてくれたのは、ありがたかったですよ。』
と、当時の妻に対して感謝の気持ちを語っています。
しかし、うつ病はみるみる悪化し、3月16日の早朝には自宅から5~6分ほどにある踏切で自殺未遂を起こします。
1時間くらい電車を見過ごしていざ決行しようとしたとき、
NHK時代によく仕事を一緒にした山谷親平さんの、
「自殺は愚かものの行為なり」
という言葉が浮かんだそうです。
そして、妻や子供たちの顔が浮かび…自殺を思いとどまったそうです。
現在は公演活動を行うも、多臓器不全で亡くなっていた!病気の情報は?!
小川宏さんはうつ病を見事克服し、その経験から現在は講演活動を行うなど活躍していたそうです。
そして、12月5日の情報番組『グッディ!』で速報として小川宏さんが先月11月29日に多臓器不全で亡くなっていたことが放送されました。
小川宏さんは90歳のご高齢です。
過去にうつ病を患っていたことを公表されていますが、他に大きい病気を患っていたと言う情報は無く、今回の死去された原因は病気ではなく、老衰によるものではないかと思われます。
*まとめ*
昭和の名司会者と言っても過言ではない小川宏さん…
壮絶なうつ病を克服し、それを公表。
現在は公演活動に勤しむまでに元気になられました。
小川宏さんの講演により救われた方は多くいるのではないでしょうか…
ご冥福をお祈りします。